『正反対の欲望の闘い』 竹重伸一
ポンペイの落書き#01 江藤由紀子『砂遊び』『ネナヤミ』 2008.1/23 〜27 於:pit 北/区域

 
 旧作と新作2つのソロ作品が続けて上演された。公演会場となったpit北/区域はプロセニアム舞台から上手側の壁が取り払われて客席となった5・08(奥行)×4・4(間口)のほぼ小さな正方形の空間で上演空間は吹き抜けになっており、上から見下ろす天井桟敷のような客席もある。ポンペイの落書きは東京バビロンのソロダンスセレクションで今回が記念すべき第1回目となる。
最初の『砂遊び』は去年の『踊りに行くぜ!!vol.7』 SPECIAL IN TOKYOでも観た作品である。4景構成の振付も衣装や使っている音楽なども去年と同じであるが、その時強く印象に残った2景の、床に腰を下ろしてひたすら右手でシャープペンシルをカチカチとノックし続けるシーンには今回はさほどインパクトを感じず、むしろその後の3景の、蛙のように床に這いつくばった姿のままコドッゴトッと小刻みに全身を揺すぶるシーンの強い硬質性の方に惹き付けられた。
ただ全体を通した印象で言えば、この作品は去年に比べて物足りなかった。去年の公演ではアサヒ・アートスクエアの横長のオープンスペースを暗転毎に移動して幻惑的に上手く使い成功していたのだが、改めて小さい空間で観直してみると、表現がそうした視覚的でスペクタクルな効果に依存している部分が多いのに気付かされた。この空間は観客の視線からの逃げ場のない箱庭のような空間で肉体の凝縮した表現力が試されるのだが、その点で言うと外側のフォルムに対する配慮が肉体の内部に向かう意識よりもまだ優先しているように思われ、具体的な空間を自分の肉体で測定するということが十分にできていない。2景の音楽の使い方なども、まるで映画で登場人物の心理的なサスペンスを増幅させるようなベタな使い方で内面の風景が広がってこないのである。
とはいえ、丸まった背中から浮き上がるごつごつした背骨を含めて両生類や爬虫類を思わせる江藤由紀子独特のぬめっとした肉体の質感は良く感じることができた。表情を隠すことによる匿名の人形のような無機的な不気味さと暗く激しいエロスの噴出が不思議なブレンドを成している。
5分間の休憩を挿んで後半は新作の『ネナヤミ』。『砂遊び』のベージュの下着姿から黒のスリップに着替えている。
舞台中央奥の開かれたドアから光が斜めに差し込んで、その光の方向に四つん這いの姿で向かっているところから始まる。その後ドアはゆっくりと閉まって空間は暗闇に支配される。『砂遊び』よりも更に落とした照明で肉体だけを終始ほのかに茶色く時には青白く浮かび上らせたまま、暗転なしのシンプルな構成。ゆっくりと立ち上がってはまた床に崩れていくという動きが2回繰り返されるだけでできていて、最後は両肘両膝を少し曲げて床に突っ伏すようにして終わる。やはり表情はほとんど隠されたままである。
『砂遊び』では肉体のマテリアルな質感を前面に打ち出していたが、この作品ではムーブメントの流れの方に関心が移っているように思われる。終始とてもゆったりとしたテンポで動きが積み重ねられていくのだが、テクニック的に難しいことは一切やっていないにもかかわらずちょっとした動き―仰向けになって両膝を曲げた状態から両手で両足を?んで動き回るとか、立ち上がって両肘を肩の高さで水平に保ちながら爪先立ちで歩く―に紛れもない江藤の生理が感じ取れる。一見踊りは小さく地味になったのだが、pit北/区域の空間をしっかり意識して創っているので作品のコアは『砂遊び』よりもクリアーに見えてきた。踊りにすーっと寄り添うように間歇的に3度挿入された音楽の使い方も上手くなってきたと思う。
しかし『砂遊び』の最初の景もそうだったが江藤の立ち姿には、何か宗教的な救済を求めているかのような佇まいがある。彼女の中では、物質に還りたいというエロティックな闇への退行願望と純粋で超越的な光への希求という正反対の欲望が闘っているようにも感じられる。今の所前者の欲望が勝っているように見え、踊りにおいても床に対する親和性が強い表現になっている。そもそもこれほどの床への生理的な親和性は舞踏家を含めても現在のダンス界においては稀であり、既にそれが彼女の独特な個性になっているのだが、それに比べると下半身の訓練の問題もあって立ち姿はまだまだ弱々しいといえば弱々しい。だが彼女の場合立とうとする精神の動きそのものが強い意味を持っている所が貴重なのである。その正反対の欲望をもっと激しく闘わせて欲しい。そして観客の厳しい視線に肉体を曝す経験をもっと積めば、今はまだ曖昧模糊とした情緒に紛れてしまっている部分もある肉体がもっと前面に出てくるはずだ。(1月27日 pit北/区域)

 
 
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