撮影:竹浪音羽 2011.1 『荒野より呼ぶ声ありて』/中島理乃 公演が終わって…大分経ちました… とにかく今回は本番…というものが特別だった。稽古とは全くの別物だった。 私は日常から全く切り離された世界で…日常とは全く違う覚醒された身体になっていて…そこから今帰ってきた状態なんです。 全てが初めての経験だった。本番前の楽屋…逃げ出したくなって、本番が無くなれって願い続けてしまう程の恐怖… セリフの第一声を上げる時の恐怖…舞台上で心臓がバクバクと高鳴っていた… 客席が怖くて怖くて仕方がなかったのに客席が味方になっていて、客席の状態、エネルギーがガンガン伝わってきた事。 ホントに初めての経験だった。本番前のゲネプロでも私は物凄い経験をした。演出家が言うには何かがおりてきていたとの事だ。その時は本当にすごかった。稽古の時には感じられなかったリアルな感触があった。舞台のクライマックス…三月記を引用したシーン…私は客席で座ってシーンをずっと見ている役なのだけど…殺害する側と殺害される側の凄まじいパワーと悲痛な叫び…舞台上で今起こっている、どうしようもない戦いを、ゲネプロという場で肌で感じてしまったのだ。それは初めての経験で音響は身体にガンガン入ってきて私の意識を揺さぶる。そして私はすっくと立ち上がり、三月記の一節を… 地獄を見た親子が舞台上でその姿を晒している。部外者の私はどうすれば「それらが語られた後…」と声をあげられるのか分からなかった。本当に探り探りで声を上げた。絞り出すように…震えてしまいそうな声。本当に頼りなかった。しかし語るうちに声が自然と出てくる。私の意識は舞台上の親子に吸い込まれるように集中し、恐ろしく凛とした空気に触れた。ふと自分の声に冷静に耳を傾けた時…ビックリした。もはやそれは私の声ではなかった。声はただ劇場中に響いていた。床を、壁を、空気を震わせていた。そして聖書の言葉を声にだした。 ほとんど流れに身をまかせた状態。稽古の中ではただただ親子三人の不思議なエネルギーの中で、強くセリフを言う事しか意識できなかったのに何故か身体中が不思議な力で満ちあふれていて気が付けば親子に、差し出された生贄に、声をぶちあてていた。声が出る度お腹の中が今までした事の無い絞られ方をしていたのに気がついた。それは完全に私の意思ではなかった。遥かに私の意思を越えていた。こういう事を言うと引かれそうであまり言いたくないのだけど…あの時私の中に人間では無い…とてつもなく厳粛な存在がおりていたような感じがした。そうでなければあの時のあの状態は何だったのか。あの時私には人間のモノではない厳しさがあった。今まで感じた事のない厳しさ。そんな厳しさに、私は生まれて初めて、舞台の上で出会ってしまった。 あれは完全に私ではなかった。私の意思は何処かに追いやられたまま、未知の存在が私の声と身体を乗っ取り、世界で最も厳しい形で、親子三人と客席に言葉をぶちあてていた。そうして暗転し、私は客席の一段下に移動しなければならないのだが…足がほとんど動かない!足が棒になっていて動くと客席から転げ落ちそうになる。物凄い苦労の果てにやっとこさ段をおり、息子と少女(私)の対話のシーン…そこでまた不思議な事が起こった。 シーンの最初からなんだか貧血ぎみなような感じで、頭がぐらぐらしていた。まぁすぐに治るだろう。と、息子と会話しだした。しかしドンドン酷くなる。そのうちに身体を支えられなくなり、身体が前へ後ろへ揺れているような感じがした。物凄い後ろに反って倒れそうになった!マズいと思い、前に戻そうとすると今度は前のめっているような感じがした。頭はボーッとし、立ちくらみのような状態でグラグラし続けていた。身体を支える事に必死で、もう何も考える余裕も無くし、相手が何言っているのか、自分が何を言っているのかもほとんど分からなくなってしまったのだ。これでは芝居が出来ない!とにかく息子に集中しよう!と息子へ意識を強く向けると…今度は身体ごと息子の方に吸い込まれて、客席から転げ落ちそうになるのだ。息子に集中すればするほど強い引力が働き、ますます私の意識が遠くなってゆく。凄い恐怖だった。こんな事今までなかったので、死ぬ時はこうやって意識が消えるんだ…と思ってしまった。このままじゃ本当に危ないと思い、息子から少しだけ意識を外さなければならなかった。一人にならない程度に、加減しながら。 そうしてなんとかギリギリそのシーンを終える事が出来た。その後も移動があったのだけどやはり足が動かず、客席から落ちそうになってしまいました(笑)ちゃんとセリフ合ってたかどうか後から演出に聞いてみたら、私はあんな状態にいながら、稽古でやってた事をちゃんとこなしていたようだ。ちょっと自分凄いと思いました(笑) この息子と少女の対話のシーンはゲネも本番も三回位ずっと意識がぶっ飛んだ状態でやっていた。しかしさすがにいつ客席から転げ落ちるか分からないような状態でやるのは怖いと、楽日に共演者に話してみたら、自分のすぐそばに、感情の無い、冷静に自分を見ている、もう一人の自分を置いてみたらどうだろうか…というアドバイスを貰った。早速楽日にやってみた。シーンが始まって、やはりまた息子に吸い込まれそうになったのだが、もう一人の自分を作りだしたらその現象はすーっとおさまった。 あとは冷静に演じきる事が出来た。だけどどこか物足りなさも感じた。しかしこのシーンが無事に終わった時の安堵感はすごかった(笑)演出家が言うには何かがおりてきていたというのは、ゲネプロの時の一回だけだという… はて…私は本番も同じような感覚があったが…(笑)まだ私には「おりてきていた」という事がよく分かっていなかったようです。 ただ本番は客が入ったという事でゲネプロの五倍はエネルギーを使ったと思う。 客がエネルギーをくれた…とも思ったが、もしかしたらそうじゃなくて客のエネルギーが私の意識を揺さぶり、私の眠っているエネルギーを起こしてくれたのでは…とも思う。 2011.1 『荒野より呼ぶ声ありて』/嶋津和子 まず、台本を読んで実際の稽古にはいる前に必要な準備として、からだの作り方をワークショップというかたちで少し経験した。一時間くらいかけてストレッチをし、岡村さんの合図で速度を変えて稽古場中を自由に走り回る。最後に速度を緩めてスローモーションのようにゆっくり歩くと、普段目につかないようなものが見え易くなっていて、体の感覚が鋭くなっているのがわかった。少し息切れしていたけど頭の中が空っぽになって、壁や床を照らす光や、静寂の中にかすかに聞こえる音、すれ違う一人一人の体温や息づかいが感じられ、心地いい。その場に自分が受け入れられた気がした。 次に二人ずつで出会いのレッスンをした。まずお互いが背中を向けて離れて立つ。手を叩く音をきっかけにゆっくりと振り返り、相手と向かい合う。ゆっくりと近づいていくと、何だか相手が未知の不気味なもののように見えてしまってからだが固まる。やっとの思いですれ違って恐る恐る振り返ってみるとやっぱり怖い。怖すぎて私は相手に背を向けて逃げ出し、平台の陰に隠れてしまった。しばらくして振り返って相手を見てみると今度は小さくなってさみしそうに見える。近づいてみようかなと思ったところでパァンと手が叩かれた。 ものや人の見えかたというのは刻一刻と空の色のように変わっていて、もしかしたら私は日常の中で偏見に囚われて、見えているはずのその変化を無意識のうちに見逃していたのかもしれない。でも少しもったいないけど、偏見に守られて日常を生きていけてるんだなあと、偏見という言葉をネガティブに捉えがちだったんだけど、そういう偏見には感謝してみる気になった。でもでもやっぱり非日常は発見があって刺激的で楽しいからちょっとは偏見いらないかも。怖い思いは嫌だけど、冒険の途中でたまたま蛇に出くわすこともある。 そんなこんなでワークショップが終わり、いよいよ芝居の稽古にはいる。『荒野より呼ぶ声ありて』私は何年か前に一度この舞台を見ていて、結構ショックを受けたことがある。なので内容をなんとなく知ってはいたんだけど、少し怖い舞台だなと思っていた。最初に皆で台本を読んだ感想を言い合う。私は確か一番印象に残ったラストシーンの父親の言葉について話した。「しかしなぜ、それが私たちだったのでしょう」実際に浦和で高校教師が、息子の家庭内暴力に耐えかねて彼を刺殺した事件をもとに書かれた話で、法律的には父親は加害者だが、この言葉には両親もまた、息子の暴力だけではなく、抗いがたいもっと人知を越えた大きな流れに巻き込まれた犠牲者ではないかということが感じられた。 この時岡村さんは生け贄について話したけれど、私ははじめ、彼らを生け贄という言葉で捉えることにいまいちピンとこなかった。生け贄という言葉には、何か人間の幻想のようなたよりない響きがしたからだ。それは宗教なんかで生け贄を捧げる信仰の対象の神さまというものが、人間のイマジネーションによって創られたもので、それ以外のなにものでもなく、イマジネーションの自由な広がりは現実に結びつくことはないんだからという思いが強かったからだ。私は芝居の稽古をしながら並行して、この生け贄という言葉の意味をわからないなりにも探り続けた。結局確信を持つことはできなかったけど、生け贄という言葉が私のなかで勝手に信仰に直結してしまったのだけれど、神さまがいない現実の世界で、最初に台本を読んだときに感じた人知を超えたものの存在を私のなかのイメージの世界で捉えるならば、やっぱりそれは神さまではないのだ。人間は生まれおちてから、ある罪のようなものを背負っていて、それは人の歴史かもしれないし欲望かもしれない。そこから出た膿のかたまりが少しずつ集まって大きな流れになってたまたまこの家族に押し寄せたとしか私には思えないのだ。それが人が生け贄を必要として何かに捧げたということなのだろうか。自分で書いてて何だかよくわからない。あまり論理的でない。すみません。 つまりこの父親の問いかけは、誰かに呆然とそう問いかけざるをえなかったすべての生け贄たちの理不尽な運命への無意識の抵抗で、確信をもって簡単に答えを出すことは誰にもできないのではないかと思ったのだ。それは公演を終えた今でも私には答えはわからない。人が生け贄を必要としくなることはないように思える。でも私はその事についてこれからも考えつづけるだろう。こういう芝居を通して考えることが増えたのは、私にとって大きな意味がある。 次に、それぞれが立って色々な役の台詞を言ってみて、配役が決まる。私は若い女と、息子の台詞をやってみた。どの役も面白そうで何でも良かったのだけど、いつの間にか流れで息子の役をやることになっていた。でも岡村さんの代役で父親として稽古したりと、息子以外の台詞も言えて色々楽しかった。最初から両親と若い女のシーンばかり稽古していたので、本役の台詞の前に代役の台詞を覚えてしまい、公演二週間前になってまで、自分の出るシーンの台詞を覚えず、岡村さんに「こんなの見たことがない。阿彌始まって以来だ。信じられない」と言われてしまった。自分でもありえないと思い正月休みに、夏休み最後の小学生のような必死さで台詞を叩き込んだ。今は反省しています。思えば代役をやる軽さで掴んだことが多い。一番大きいのは、これはまわりにも変わったと言われたけど、焦らなくなったこと。それはあることで挫折してからずっと続いていた。何もみつからないという焦り。それまではダメ出しをされると、なぜか軽いパニック状態になり、言われている意味がわからなくなって対処ができなくなる。これは芝居をやる以前のメンタルな問題だけど、前回の舞台の稽古で自分で自覚していたので代役をやっているうちがチャンスだと思って落ち着いてやれるよう解決しようと思っていた。やってみたら簡単だった。たぶんこれから芝居をしていくんだという覚悟が力をくれたんだと思う。だってやりたいんだもん。 私は昔、これしかないと思っていたものを失ってから、何をしていいかわからなくなっていた。これだと賭けられるものを探しもとめていた私は五年前、たまたまインターネットで目にとまった阿彌のワークショップに最初思いつきで参加した。それからなんとか“少年”という新人公演にチョロっと出ることができたものの、当時軽い精神的な問題も抱えていて、次の公演の稽古をバックレた。岡村さんに電話で事情を話し、芝居をするのは無理だということになった。 でもなぜか惹かれる。それは阿彌という集団なのか演劇自体なのか。治療をしながら他の劇団の芝居を観に行ってみる。なんかつまんない。出会いがなかった。バックレたにもかかわらず、なんやかやいって惹かれてしまい、阿彌の公演の手伝いをさせて貰いながら舞台を観に行った。そんななかで“アミナダブ”という舞台を観て、何がなんでも芝居をしようと決めて阿彌に飛び込んだ。何でそう決心したかは今回の公演が終わるまで思いあたらなかった。打ち上げが終わった後、絵では表現しきれないものがあるという会話の流れで、ふと“アミナダブ”を思い出した。そういえばあの時舞台にはすべてがあると思ったんだった。全部あるから欲張って他のことにかまけなくてもいいんだと思ったのかもしれない。そういう衝動がパワーになって焦りが消えた時、やっともとの自分に戻れた気がした。 そうなったら芝居をやれることができるというだけで楽しかった稽古がいっそう楽しくなった。 言葉をしっかり言うということや感情でやらない、相手をどう捉えて向き合うか。岡村さんのダメ出しがダメ出しなのにまるで神さまの言葉みたいに聞こえる。その場でわからないことは帰りの電車のなかでりのちゃんと話し合って発見することがあったり、家に持ち帰ってコートハンガーやシャワーノズル相手に台詞を言ってみたり試行錯誤して、自分なりにこんな感じかなと稽古場で試してみる。例えば「苦しかった」と言う台詞を言う時に、本当に苦しくなければいけないと思い込んでいたのか、本当に胸のあたりがつまってただ苦しくて台詞がちゃんと言葉にならない。その事をいったんやめてただ苦しかったと言ってみたらからだかとても楽になり、台詞を言うのが楽しくなった。そういったことの繰り返しが何よりの喜びだった。もちろん稽古後の飲み会も。でも酒を飲んでいたのは私かめぐちゃんくらいなので、お食事会か。そこで皆といろんなことを話したりするのも楽しかった。 息子と少女のシーンがいちばん難しかった。少女をどういう相手として捉えるか、全然決めていなかった。少女は現実にはいない抽象的な存在だからこういうのは自分のイメージで決めるしかないと教えられて、そうかと気付き家で考えて決めてくる。でも実際に稽古場に立つと難しい。二人を挟む間に視覚を遮るオブジェがあり、直接彼女を見ることができないのもまた難しかった。このシーンの途中で引き受けるということをしていないと言われた。実は台本を読んだ後で、題材にした事件について書かれた本を読んだ。亡くなった息子がどういった家庭環境で家庭内暴力に走ったかは頭ではそうかと思ったけど、感情がついていかない。どこか他人事なのだ。甘えるなと彼に反発さえ覚えた。私は人の痛みが本当にわからないなあと思った。最後まで引き受けるということの意味もわからなかった。 ゲネの前に岡村さんから電話を貰い、自分の役の立場が、家庭のなかでどういうものだったかも含めて、もう一度考えて台本をよく読んでみたらどうかと言われて、読んでみて、はじめて涙がこぼれた。自分がないというのは、どれ程悲しく恐ろしいことか。私もこれ程ではないが、少しは身に覚えがある。でもやはり彼の痛みをわかりきることはできない。できるわけがない。 そして本番の日。怒涛のようにあっとゆうまに過ぎていったけど、お客さんがいるから、人のパワーが満ちていてすごくやり易かった。すごく集中して観てくれているのがわかった。そういうのがまた楽しくてしょうがない。途中コントロールのきかないよくわからないものに突き動かされて台詞を言ってしまったけど、なんとか乗り切れた。 終わってみて浮かぶのは本当に楽しかったという言葉だけ。疲れたけど楽しかった。またやりたい。
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